SLOTH & SMILE

★3児のパパが綴る「怠惰」と「笑顔」がテーマの子育て記録★

「長男の絵と日曜日よりの使者」という話。

お絵描きという遊びの形式。子どもの場合、その多くは親に完成品を見せることによって遊びが完結する。だが時として本人すら何を描いたか分からないような代物を「どう?すごいでしょ?」とか「何に見える?」と引っ提げてくるからタチが悪い。子どもの描いた意味不明な絵に対し、嘘偽りなく心から感動できる人は世の中にどれくらいいるのだろうか?

 

さて、僕はといえば子どもが描いた意味不明な絵に対して「なんだよこれ」という感情しか湧かないのだが、そこは本音と建前。「すごいね」とか「上手だね」といった大人であれば標準装備されているであろう当たり障りのない言葉でその場を切り抜けて、誰一人傷つけないという、徹底した日曜日よりの使者っぷりだ。しかし絵の仕上がりはともかく、子どもが懸命に描いたであろうその過程には努力を感じるし、そのプロセスに関しては正直に認めてきた。だってこの世に生を受けて間もない、頭蓋骨の一部がまだ接着していないような生物が生意気にも絵を描こうというのだから、これはもう「すごい」というより「やばい」ぐらいに思うのが自然だ。子どもが絵を描くという行為は、日曜大工の未経験者が丸ノコでラインなしの木材を切断するようなもので、それに質を求めるなど愚行の極みだ。そりゃあ本人だって思うようにいかないのだから現実逃避の手段として手にした工具(クレヨン)を食べてしまいたくもなる。つまり子どもの描き上げた絵がどうであろうと子どもが絵を描くこと、それ自体がもう称賛に値するのだ。よって僕は仕上がった絵よりも、勝算があるのか分からないままクレヨンを走らせるその姿に拍手を送りたい。あえて声をかけるなら「ナイスファイト」という言葉が最もふさわしいだろうか。だが子どもが求めているのはあくまで完成品に対する評価であって、過程を褒められることはそれに及ばない。だから僕はどうにかこうにか訳の分からない理屈をつけて、何なのか分からないそれらを評価してきた。しかし子どもは成長していき、絵そのものの質が徐々に向上してくる。小さなその指は線をまっすぐ引くことを覚え、曲げることを覚え、繋げることを覚える。意味不明だった作品が明確に何か分かる作品へと進化する時、こちらの反応も社交辞令でなくリアルな感動へと昇華するのだ。

 

日曜日の夜、長男が黙々と描いていた絵を僕に見せてくれた。この間までは描いた本人ですら何が何やら分からないようなものを描き、ドヤ顔を決め込んでいた長男。そしてその絵に対してこちらは「これが目でこれが口だ」とそこにありもしない部位を見出し、「サカナに見えるね」などとそこに居もしない生物の存在をでっちあげてきた。

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しかし、今回の絵はどうだろう。僕はかつてないほど長男の成長を実感した。子どもの描いた絵に対して心から「すごい」と言える日がこんなに早く訪れるとは思わなかった。今までのそれとは違い、明らかに各パーツが「俺は輪郭さ」「私が鼻よ」「吾輩は口である」とそれぞれに役割を与えられたことを喜び尊重し合っている。余白という白い海に浮かぶこの小さな島国では一億総活躍社会が見事に実現している。そしてこれは間違いなく顔、それもアンパンマンの顔ではないか。

・・・いや待て、そうとは限らない。顔面だけを見ればアンパンマンに違いないが、頭部の突起を考慮すればウルトラマンに見えなくもない。むしろ最近の長男が僕に平然とスペシウム光線を放ってくることを考えれば後者である可能性が極めて高い。だがどうしてもこの顔面が「顔が濡れて力が出ない」と語りかけてきている気がしてならない。アンパンマンとウルトラマン、日本を代表する両雄が争うさまは文字通り「対マン」である。この葛藤をよそに長男は僕の第一声をワクワクした顔で待ち望んでいる。不正解であれば彼の自尊心を傷つけてしまうかもしれない。食べられるマンか食べられないマンか、マンはマンでも違うマン・・・。思考回路が麻痺しようとした刹那、脳内に再生されたのは「愛と勇気だけが友達さ」というメロディ。僕はこの一答に全身全霊をかける。

 

 

僕「すげぇ!アンパンマンじゃん!」

 

 

長男「波平さんだよ」

 

 

ああ、これだから日曜の夜は嫌いだ。

 

日曜日よりの使者

日曜日よりの使者