SLOTH & SMILE

★3児のパパが綴る「怠惰」と「笑顔」がテーマの子育て記録★

「子育てに関する情報の受信に潜む悔しさ」という話。

僕は積極的に子育てをしている人のブログやTwitterを覗くようにしている。もちろん同じ立場として共感できたり参考になったりするからだ。実際に子育てをしている人の文章やつぶやきはスッと入ってくる。それがパパのものであれば自分と照らし合わせてみたり、ママのものであれば自分の嫁に照らし合わせることによって考え方や行動を改めたり、改めなかったりしている。しかし、共感すればするほど嬉しい気持ちと同じくらいの悔しい気持ちが出てくるのだ。僕にとっての「僕だけじゃなかったんだ」は喜びであり悔しさなのだ。ではなぜ悔しいのか具体的に考えてみた。

めっちゃ共感できた時ほどなんか悔しい・・・。

よし、ワケを聞こう。

子育てをしていると大人も数多くの「初めて」を経験することになる。そしていつしかそれらは「自分だけのもの」となっていく。我が子が一番可愛い、うちの苦労は他の比にならない、自分はこんな方法を実践している、こんな体験をしたのは自分ぐらいだろう等、それらは自分にとってリアルでオリジナルなことだ。しかし、実際にはそうではなくて子育てをしていれば性格や環境の差はあれど、ある程度の出来事だったり考え方や行動が似たり寄ったりになってくる。自分の中の特別が特別ではなくなる瞬間。当然と言えば当然だが、この事実を目の当たりにしたとき自分の中のオリジナルが崩れていく気がするのだ。この「みんな同じ」ということが子育てをする僕にとっては喜びや安心感であると同時に、自分の経験を否定されたような気になる。そしてそれが悔しさの原因になるんだと思う。

あともう一つ原因があるんだよねぇ・・・。

まだあんのかよ。言ってみな。

もう一つは「まず自分が発信したかった」ということだ。僕もブログやTwitterをやっているのである程度好きなタイミングで好きなことを発信できる。それならば「みんな同じ」だとしても自分が発信源になりたいのだ。僕はネットの中で周りを巻き込む影響力は持っていないが、それでも最初に自分が発信したい。実際よく使ってしまうが「僕もそう思っていた」というのは正直あまり使いたくない。自分の中でその人に乗っかっているという相手への依存性を感じてしまうからなのだろう。自分がやろうとしていたことを、先にやられてしまい悔しいという気持ち。つまり「共感したい」より「共感されたい」という思いから、どうしても人の先を行きたがるのだ。現実世界でもそうだが、ネットの中でも第一人者は価値あるものということを本能的に感じてしまっているのだろうか。人には共感したくないけど、自分には共感して欲しいってけっこうな我がままである。これじゃあ僕も子どもと同じ承認欲求の塊じゃないか。嫁に4男と言われるのも納得である。

ようするに俺ってかまってちゃん ってこと?

・・・・・。

僕にとって様々な「悔しさ」が付きまとうブログやSNS。それらをやらなければ良いだけの話だが、僕はこれからもこの感情を味わっていきたい。これも一つの楽しみ方と捉えて情報を送受信していきたい。やはり多少の「悔しさ」はあれど色々な感情を手軽にもたらしてくれるそれらが好きだから。

この記事を読んだあなたは「なんだコイツめんどくせぇな」と思っただろうか。もしかしたら少し共感するところがあるのでは・・・?(最後までめんどくさい)